この前の土日でルイボスティーと黒豆茶が切れて大惨事になるところだったものの、パントリーの棚の奥から買い置きの黒豆茶が出て来て命を繋いでいる今週。2017年初更新です。
最近仕入れたニュースと言えば、狩野英孝さんの未成年とのオトナの恋愛問題。どうしちゃったのかな、なんか今までなんとなく許されてたからなんとなくハメ外しちゃったのでしょうか。ギリギリを見極めなきゃいけないところをいきすぎてしまいましたね。あーあ。これでは最終的にただのお馬鹿さんでした、まる。というに落ち着くことになるのでしょう…。
そして一昨日、炎上芸人でお馴染みの西野先生がまたしてもネットに爆弾を放り投げていることに気づきました。
こりゃ大変だ。しかも燃料投下して燃やし続けているみたい。
経緯を見て思ったのは「例え言っていること(言いたいこと)に間違いがなかったとしても、表現の仕方に品がないと問題になるし誰かを怒らせるんだなぁ」ということ。
うーん、今日はこの件について思ったことをつらつら書いてみようと思います。
西野さん、嫌われにいくその姿勢がすごすぎる点
まず注目したいのはここです。炎上商法というやつなのでしょうか?そうなのでしょうか?
残念ながらわたしは西野さんにそんなに詳しくありません。20年弱前にオンエアバトルで活躍し、スピード感のある漫才をしていた芸人であり、「はねるのトびら」で何故か一人だけ体を張らなくても良い回し役であり、相方もかなりの炎上体質であり、そして、今は晴れて皆んなの嫌われ者である、というぐらいしか知りません。
テレビを見て出てくるとちょっとイライラしてくるしアメトーークでせっかく西野芸人をやったのに殻を破れずになんだかしゅんっと終わってしまってなにやってんだよと思ったけど、あ、これはわたしの個人的な感情と感想なので今回の件とは全く関係ありませんでした。とにかく知っているのはそのくらいです。
西野さんは以前からネットをよく炎上させているようです。普通の人は炎上とかさせたくないと思うけれども、彼はもう何度も炎上を起こしているのだそうです。もう趣味なのかもしれない。だとしたら今回の騒動も納得がいきます。
タイトル「お金の奴隷解放宣言」も既に煽ってます。あちゃー酢飯のご飯ちょっと熱すぎたーっ花子も太郎も早くうちわであおいで!はやくー!すぐ!!という状況よりもあおってます。
本文もあおってる。アオリイカよりも多分あおってる。一部引用すると、
「なんで、人間が幸せになる為に発明した『お金』に、支配され、格差が生まれてんの?」
と思いました。
そして、『お金』にペースを握られていることが当たり前になっていることに猛烈な気持ち悪さを覚えました。「お金が無い人には見せませーん」ってナンダ?
糞ダセー。
ここです。
ここが、特に攻めてるー!
みんな今は貨幣価値の中で生きてるのです。ああ、お金なくなったら困るなあ、臨時収入あったら嬉しいなぁ、と思って生きているのです。その価値観を「気持ち悪い」と一言で。さすが飛ばしています。
もちろん、分かっています。西野さんが、今回作った作品を「対価」にとらわれない形で発表する場を作りたいと思ったこと。「気持ち悪い」「糞ダセー」という言葉は不特定多数の人に向かって言ったわけではなく、その時おそらく「これから自分が実現していきたい(実現していくであろうと思っている)世界感とずれていて、あれっ?これもう少しなんとかならないの?」と思ったことを端的に「気持ち悪い」と表現したのであろうこと、わたしを含め世間の皆さまがたを「気持ち悪い」と言ったわけではないこと。
その証拠に、さきほどの文章のすぐ下にこう書いてあります。(以下も引用)
……いや、モノによっては、そういうモノがあってもいいのかもしれません(←ここ大事!ニュースになると切り取られる部分ね)。
でも実際に「気持ち悪い」って言葉が使われています。読書というのは読者がする、体験です。「作者がなにを言いたいか」を測ろうとするのが読書でも、それをまさに読んで感じるのは「自分」という読者なのです。
だから文章の中に自分と重なる部分があればそこに反応するのは当然のことなのです。
気持ち悪いとかダセーとか言われた!?と感じた、その感情はそんな一文では消化できないのです。
「君って本当に気持ち悪いね。え?いや、いい意味、いい意味で!」と言われても気持ちがもやもやするのと同じです。
なのに、そういう表現を使う。それが西野さん。
以上のことから、わたしはこう思いました。
「怒られるの当たり前」
この記事に書いてあることをまとめてみると変なことは言ってない
さて、怒られるの当たり前な記事だと思うのですが、実のところわたしはそんなに頭にきませんでした。(あ、でもやっぱり変な人なんだなとは思いましたけど。)書いてあることは(作者が伝えたいこと)そんなに変なことじゃないからです。
一連の炎上でこの件に関する記事が何個もあがっていますが、あくまでお金の奴隷解放宣言の中身だけ、要点として箇条書きにしてみます。
- わたくし西野は芸人であるが絵本作家でもあり、出した本がヒットしました。
- 絵本は発色などにこだわって作ったため定価が2000円ですが、その値段は確かに小学生には少し高額だとおもいます。
- なのでweb上で無料で公開することにしました。
- 絵本という形で楽しみたい人はお金を払い、中身を見られればいいという人はwebで楽しんでください。
- お金が介在させない形で世界(経済など)が回る形があってもいいし、プペルに関してはそれができると思ったのでそうしようと思います。
こう書いてみると、やはりなにも怒るべきところはありません。でも、やっぱりこのように書いたらネットニュースなどで「webで公開」って流れて、ツイッターで何日かちょっとシェアされてそれで終わりかな?と思います。ああやって煽った書き方をするからクリエイターの自尊心を傷つけ、「俺は一歩先行ってる感」から感じる上から目線なかんじが大方の読者をイラッとさせ、炎上につながり、注目につながり、結局西野さんが美味しい思いをするのかなと。
となると、やはりあれは狙って書いたということになるのでしょうか?
わたしは思いました。誰かに不快な思いをさせることを狙って書いたというなら、端的に言って美しい行いではないと。
綺麗なことを言いながら、行いが美しくない
そこに嫌なかんじがしました。
西野さんはプペルという作品に関しては「恩送り」ができると思ったので実行したと書いています。でも実際には世の中に「恩」じゃない不快なものも送ってることに関しては、どう思われるのでしょうか。
こんなにバッシングが広がってる中では「webでプペル読んだけど良かった」「web公開ありがとう」と思った人は、その感想を素直に表現するのは難しいんじゃないかと思います。
だからあの文章は書いてあることと読み手に伝わっていることが全然違っていて、だからわたしは好きじゃありません。
伝えたいのは「恩送りとかができる世界にしたい」ということなのか「煽ってやろう」ってことなのかどっちなんだ。
(そしてその後の記事でフリーミアムに言及してるということは、そもそも「恩送り」は建前だったということ…?ん?どういうこと?)
以上のことからわたしは「少しずつ起こっているペイフォワード的な美しい流れを、こんなことに利用しないでください」という気持ちになりました。
「ちゃんと読めば分かるのに」とは言わないでほしい
伝えたいことを伝えるとき、どのように伝えるか、はとても大切なことで、この記事は伝え方に問題があると思います。一からちゃんと読んで、そう思います。
「言ってることは間違ってないけど言い方に問題がある」という事例に出会うといつも思い出すのが昔の大臣の言葉です。少子化問題についてのコメントで女性を「子を産む機械」と表現して問題になりました。
これも言葉の本意だけを切り出せばとくに問題はなく「子を産むことができるのは適齢期の女性だけなので、その意味では総数が決まっている」という意味のことが言いたかったようなのですが、それにしても女性を傷つける言葉です。
今回のことも、問題の本質はこの伝え方の問題なのだと思います。どの言葉を使ってなにを表現するかの問題。だから「言いたかったこと」に問題がなかったとしても、それを言い訳にした欲しくないなと思います。その表現を選んで使ったことに対して、作者は責任があるのです。
だからわたしはこう思いました。
「あんな書き方しておいて「ちゃんと読め」みたいなこと言う西野さん。責任転嫁を織り込み済みみたいなかんじでかっこ悪いと思う。イラッとした」
だからやっぱりすきじゃありません。
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